ホリスティック
1991年、はじめて「ホリスティック」に出会いました。
病気に倒れ、大好きだった仕事を辞め、夢も希望もなくなっていたときでした。
小さい頃は喘息で病弱で、しょっちゅう熱を出したり風邪をひいたりで、病院のお世話になっていました。
病気は医者が治してくれるものだと思っていたので、大病院に通いつめましたが一向に良くなる気配はなく、痛みと倦怠感と焦燥の中で出会ったのが、「ホリスティック」でした。
アンドリュー・ワイル博士の数々の著作、ラリー・ドッシー、デイーパック・チョプラ、帯津良一先生はじめ、世界中の研究者や実践者の著作を読み漁りました。
またマクロビオティック、玄米正食、東条百合子先生の自然療法、西式健康法、千島学説、びわ灸、ディープエコロジー運動、田んぼを借りての自給自足の真似事、甲田先生の断食、Oーリングテスト、アーユルヴェーダ、ヨガ、アクティブバーバースとの出会いと実践を通じて、自分のからだの一番の主人公は自分である、こころがからだを作っていること、病=悪ではなく、気づきのための大いなるチャンスであることに気がつきました。
ホリスティック『Holistic』 にはさまざまな考え方がありますが、もともとはギリシャ語の「holos」(全体)が語源となっています。現代英語の「holy 聖なる」や「whole 全体の」という言葉のもとにもなっており、そこから派生して「health 健康」「heal 癒える」という言葉も生まれました。
主な意味としては「全体的」や「全的」「全体論的」「関連」「つながり」「バランス」 などと訳されています。
「Holistic」という言葉は1926年にジャン・クリスチャン・スマッツという思想家が「ホーリズム(holism)と 進化」という著作の中で「holism」の形容詞として初めて使った造語なのです。
健康について考えること
西洋医学はデカルトが唱えた心身二元論という、こころとからだを分離して臓器や細胞の寄せ集めとして人間を捉えることで、大きく発展してきました。
しかし、臓器や細胞などといった部分をみることにあまりに比重が傾きすぎた結果、わたしたち人間がこころとからだとそスピリットの全体からなる存在であることを忘れてしまったのです。
こころとからだを分離し、全体のバランスや統一を置き去りにしてしまった西洋医学に対する 反省から1960年代のアメリカで、ホリスティックという概念が興りました。
ホリスティック医学をひと言で論じるのはとても難しく、それぞれの立場や従事する療法などによっても多様な考え方がありますが、あえていうならば、人間をまるごと全体的にみる医
学といえます。 健康や「人が癒える状態」(癒しという言葉は本来ないと考えています。healは自動詞であり、癒える状態を指すと考えるからです)とは本来、身体だけでなく目に見えない魂や精神・
霊性も含めた人間の全体性と深く関係があります。
人生を生きていく中で、各人が持っている生老病死を含めたストーリーを大切に考え、自らが病と向き合い自分というものに気づく作業を助け、こころとからだと精神のあらゆる側面から自己治癒力を引き出し、支え、高めていく方法を医療従事者や療法家とともに考えていくことがホリスティックなアプローチであると考えます。
病気を治す、対症療法的に今見えている症状だけをみるのではなく、もっと本質的な世界に気づくための手段として様々な療法があるのだと思います。
アロマセラピーやリフレクソロジーなどは自己治癒力を高めるお手伝いをします。
西洋医学を含めた様々な療法家が集まり、チームとなって最善の方法を共に模索し行うことができるような場が少しずつですが、病院などにも広がっています。
「健康」ってなんだと思いますか。病気でない状態が「健康」なのでしょうか。
あるいは血液や尿や細胞組織の検査結果が正常値の範囲以内であれば
「健康」なのでしょうか。
病を抱えていたとしても「健康」に生きる方法はあるのではないでしょうか。
精神・身体・環境がほどよく調和し、与えられている条件において最良 のクオリティ・オブ・ライフ(生の質)を得ている状態が「健康」なのではないかと考えています。
以上は日本ホリスティック医学協会のホリスティクの定義を元に考えたホリスティックです。
さらに学びや経験を積む中で、思考が深まり、新たな見解になると思います。
→日本ホリスティック医学協会のホリスティックの定義についてはこちらをどうぞ
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